コイが落ちたから。

映画「夜は短し歩けよ乙女」 レヴュー

 

 

「付き合うならどんな子がいい?何を重視する?顔?性格?おっぱい?」

 

こんな質問誰しもがされたことあるだろうし、したこともあるだろう。

70%ぐらいが「顔!」と答えて、20%ぐらいが「性格」と答えて、5%ぐらいが「おっぱい!!」と答えて、さらに残りの5%ぐらいがちょっとニッチな性癖を答える。

 

筆者は「反則だろお前!!」って言われる回答をいつもしてる。

「女の子はもうみんな大好き」

まぁ、これは「付き合うなら」って回答にはなってないですね。

 

もしも「付き合うなら」ってところに重きを置いちゃうと結構考える。最高の理想を言えば、普通じゃないポテンシャルを持ってるけど普通の女の子してる人が好きです。傲慢だねぇ。

 

僕の話は置いといて、例えば僕の友人Iくんは「俺の話で笑ってくれればいい」なんてことを言う。また別の友達は「綺麗だったら男でもいい」と言う。

 

でもね、意外と自分のタイプじゃない人を結構好きになったり付き合ったりしてる。

 

映画「夜は短し歩けよ乙女」は所謂恋愛映画だ。ウブな先輩(演:星野源)が黒髪の乙女(演:花澤香菜)に対しての片思いを描いたアニメーション映画である。

恋愛映画はあまり好みでなく、例えば観終わった後に、「あぁ、こんな大恋愛一回はしてみたいな」なんて思うのだけど、鏡を見て「あぁ、あんなイケメンじゃない…」ってオチをもう何度も経験してるからだ。ケッ!!!

ただ、「夜は短し歩けよ乙女」は、星野源の声の雰囲気も含めて「あっこんなこと考えたことある!!」とか「はたから見るとストーカーだよなこれ…」と思っちゃう描写が多くてのめり込みやすかった。これは称賛の声として、星野源の童貞らしさが先輩のキャラクター性を見事に確立させていた。

 

アニメーションならではの表現の数々も非常に面白かった。色使いや、キャラクターの動き、人体では絶対に成し得ない飲酒の表現。映画「君の名は。」のようなリアリティを追求した美しさとはまた別種の美しさがスクリーンに広がっていた。

 

また、原作が小説なので小説ならではの言葉遊びや、知識があるとちょっぴり面白い要素もあった。李白(演:麦人)というキャラクターが酒豪で尚且つ船で登場してきたり。不可思議なメタファーも多く見られた。序盤で台風によって大量のコイが打ち上げれたり。

 

ちょっぴりネタバレになりますが、

 

 僕が印象に残ったのはパンツ総大将(演:秋山竜次)が告白をするシーン。このパンツ総大将は恋が成就するまでパンツを履き変えないというロマンチストなキャラクター。彼が思慕をする理由は、「林檎が彼女の頭に落ちたから」。でもその想い人が誰だかは分からない。

物語中盤にその相手が判明するのだがなんとその相手は実は女装した男でしかも宿敵の学園祭事務局長(演:神谷浩史)だったのだ。

愕然とするパンツ総大将。そこで現れるのは、パンツ総大将の付き人をしていた紀子さん(演:新妻聖子)。彼女が実は心に秘めていたパンツ総大将の思いを告白する。

葛藤するパンツ総大将。苦渋の選択を迫られ、決断した時の彼のセリフはこんな感じだった。

「俺は林檎が落ちた彼女が好きだったから、君の告白は受けられない。ごめんなさい」(うろ覚えですが)

 

なんかこのセリフがすごく印象に残っている。

「美人(イケメン)じゃないと付き合えない」って言う人は多いけど、実際それは交際する理由にはあまりならなくて、本当はそれよりもくだらないような理由でも人は人を好きになるのかもしれないなって帰り道の電車の中でカップルを見るたびにそう思ってた。

POPEYEとかSafariに載ってる割烹着を着ても似合っちゃいそうな(憎っくき)イケメンたちもひょっとしたら「消しゴムを拾ってくれたから」みたいな些細でくだらないような理由で人を好きなるのかもしれないし、それでフラれて二週間枕を濡らして結局夢精して最悪の寝覚めを味わってるのかもしれない。

 

物語はこれで終わらず、竜巻に打ち上げられて落ちてきたコイが紀子さんの頭上に落ちてきてまた急展開が…

これ以上は劇場で観てもらいたいのでここら辺で指を止めます。

 

あぁなんか、恋愛に無頓着だった僕だが、ああいうのっていいなぁってすごく思った。

映画館からの帰り道に膨れ上がった未確認飛行物体みたいな僕のコイはいつ落ちてくるのだろう。

 

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僕ってね、

幼稚園の頃はとにかく無我夢中で絵を描いていた。

運動が本当に苦手だったから外にも出ず、勉強らしい勉強もせず、コミニュケーションもあまりせず、ただ大好きなお絵描きをして、それが人に褒められるのが本当に嬉しかった。

小さな頃の僕は絵を描くことだけが外の世界とのトンネルで、人とのつながりを感じられる唯一の道だった。

 

小学生の頃もずっと絵を描いていた。

前述した通り、運動も勉強もコミュニケーションもろくにしなかった、正確にはしようとする努力をしなかった僕はずっと絵を描いていた。小学校という場所は運動神経と成績とコミュニケーション能力とルックスが自身の立場を決める世界で、その全てを持ってなかった僕はたまに寝たふりとかしながらずっと教室の隅で絵を描いていた。

 

中学生の頃に本というものに出会った。

多くはなかったが友達はいた。それはそれは変な友達で、その友達がそれはそれは変な本をオススメしてくれた。「タイムマシンのつくりかた」という本と、「ニーチェの言葉」という本だ。その二冊は本当に難しくて、勉強のできないバカだった僕だが、勉強のできないバカなりに必死に読んでみた。なんか面白い世界が広がってそうだったから。

実際その二冊はとても面白くて、教室の隅でずっと絵を描いていた僕の視野はちょっぴり拓けた。でも、勉強は大っ嫌いだったので、視界は窓の外に向いていたけど。

それからちょっとずつ読書もするようになって、色んなモノとか人と出会ってみたいと思うようになった。

 

高校生の頃は演劇というものに出会った。

高校一年生の終わりに先輩に朗読劇に誘われたことがきっかけだった。セリフは「チャーリーが帰ってきたー!」の一言だけである。だけど、そんな些細な経験はとても楽しかった。それから、先輩たちの脚本に出演させてもらい、高校三年生の頃には自分も脚本を書いた。自分が自分でなくなるような「演じる」ということと、自分のエゴを削って観客を楽しませる「書く」という行為にも強く惹かれていった。

 

僕ってね、欲張りなのよ。

 

出来る限り長生きして、いっぱい絵を書いて、いっぱい本を読んで、いっぱい演じて、いっぱい書いて、色んな人とまだまだ出会いたいのよ。

 

高校を卒業して一年経った今、僕は19歳のフリーターをしている。

これから大学に入っても三浪で、ひたすらやりたいことを優先してたバカだから学力は当然ない。正直将来に不安はあるし、今も現実はちょっぴり辛い。でもやりたいことをやりたいんだよなぁ。

 

今は誰も見てないだろうけど今持っている「誰かこの文章を読んでくれ!」って電波が本当に不確かでゆっくりでも届けばいいなって思ってます。良ければ感電してほしいくらいです。

 

だからいつかこの電波が届くであろうそこのあなた。まだ僕の前には居ませんが、いつか届いた時はどうぞよろしくお願いします。この文章はあなたに向けたビームです。

 

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あと喉から手が生え過ぎて千手観音が作れるぐらい食い扶持が欲しいので、お小遣い程度にお金が入ればいいなとか思ってます。

 

僕ってね、欲張りなのよ。